2005年08月20日

8月の「私のホームページ」更新しました

 今日、「私のホームページ」を更新しました。
  出雲崎総会「良寛ニュースは、9月の全国良寛会出雲崎総会や、10月の新潟良寛研究会の秋季研修旅行の案内などを載せています。
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 今月の「良寛詩歌の解説」は、「面影の 夢に見ゆる かとすれば さながら人の 世にこそありけれ」の解説です。
 良寛さんの三番目の弟に宥澄という人がいます。良寛さんより12歳年下で山本家の菩提寺・円明院の住職になっています。しかし31歳の若さで亡くなりました。この歌は亡くなって間もないある日、夢の中に宥澄さんが現れて、良寛さんと法門のことについて語り合いましたが、その夢から覚めた時に詠んだ歌です。

 「良寛の記事」は故・宮榮二先生の「栃尾郷」の2回目です。良寛さんと深い関わりがあった富川家の話が逸話を交えて述べられています。
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2005年08月15日

長岡の良寛遺墨展と貞心尼史跡を訪ねる(その2)

 私は昭和37年(1962)から貞心尼と同じく、14年間を長岡に過ごしましたが、「良寛遺墨展」開催を聞いて、暫くぶりに長岡を訪れてみました。私は長岡にいた頃、良寛さんの名前くらいは知っていましたが、その他のことは何も知らず、ましてや貞心尼のこととなると、恥ずかしながら名前すら知りませんでした。それでこの機会にとタクシーで貞心尼の史跡を回ってみました。
若い貞心尼托鉢像(クリックで拡大)
 長岡には貞心尼の史跡として、草庵・閻魔堂(平成7年再建)があります。貞心尼が30歳から44歳までの14年間を過ごした所です。
 そして江戸時代、信濃川の河岸・柿川の出払い付近には、渡し舟の船着場がありました。貞心尼は和島村の良寛さんのもとへ通うため、ここの船着場を利用したものと思われます。(当時、僧侶や尼僧の渡し舟の船賃は無料であったという)

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信濃川堤防の貞心尼歌碑碑陰 現在の西蔵王3の北越製紙研究所前の土手の上には、その貞心尼が良寛さんのことを思い出して詠んだ歌の歌碑が建てられています。
(詳細はここをクリック)
 長岡では信濃川の堰堤の歌碑も、閻魔堂もきれいに整備されており、地元の人達の貞心尼に対する敬愛の念の大きさを実感しつつ、清々しい気持で見学することが出来ました。
(この項 おわり)

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2005年08月12日

長岡の良寛遺墨展と貞心尼史跡を訪ねる(その1)

近代美術館
 8月21日まで長岡の新潟県立美術館で「良寛遺墨展」が開かれています。暑くならない内にと7月22日に鑑賞に行ってきました。そして良寛さんと晩年に交流のあった貞心尼の史跡も見学してきました。「良寛遺墨展」は御三家といわれる解良家、阿部家、木村家に伝来する遺墨を中心にした數々の名品が出展されており、近来にないレベルの高い内容になっていると思います。
長岡良寛展 今年の春には、東京大阪で「木村家伝来良寛墨宝展」が開催されたが、会場は大勢のファンが押しかけ、ゆっくり鑑賞することが出来ませんでしたが、今回の展覧会は来場者も少なくゆっくり鑑賞することが出来て幸せでした。これだけの名品が一堂に会することは、暫らくはないだろうと思われますので、是非見られたらいかがでしょうか。特に木村家の和歌巻三巻はこれまで門外不出の作品で、春の東京・大坂展に続いての出品でした。この良寛さん最晩年の和歌巻(「いやひこの」ではじまるので通称『いやひこ和歌巻』)三巻だけでも一見の価値はあると思う。
 また、良寛さんの父・以南さんが書いた俳句「朝霧に」の書に、良寛さんが賛をした短歌・「みづぐきの」が、それとは対照的に細く小さく、今にも消え入りそうに書かれている幅が印象的でした。
 ただ、車を持たない者にとっては会場までの交通の便が悪く、タクシーの流しもなく、それらが来客の少ないひとつの原因になっているのではないかと思われます。ここだけではなく、長岡のイベント施設は、自家用車を持たない人は来なくても良いと言っているように思いました。
 それはともかく、遺墨展の鑑賞に先立って、貞心尼の史跡見学をしてきました。
(次回につづく)
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2005年08月09日

良寛さんへのお誘い

 日がな一日を「かくれんぼ」や「毬つき」などで子供達と遊ぶ良寛。一方、宗門の戒めに背き、酒をのみ煙草も吸い、僧侶でありながら経を読まず、説教もしなかった良寛。印可の偈(免許状)を受けながら、生涯、一寺の住職にもならなかった良寛。
 良寛さんは財産、名誉、権力など人間を惑わす全ての想念を取り払い、自然を愛し、草庵独居、乞食行脚の修行を厳しく実践しました。生活は貧しくとも、常に慈愛と寛容の精神を堅持していましたので、大人も子供も、農民も庄屋衆も良寛さんに対しては、疑念を持たず全幅の信頼を寄せ、安心して接していました 寺泊・照明寺密蔵院の良寛坐像(クリックで拡大)
 良寛さんは自分を全く語らず、説教もせず内に秘めた心をたくさんの詩歌や書簡に残しています。しかも残された詩歌や遺墨は、今も文学的に世界中から高く評価されています。
殺伐とした現代は、科学の進展、物質的な豊かさだけが進む一方、精神面での進歩が忘れ去られているようです。幕末に生き、権力に近寄らず、限りなく相手の立場を大事にして生きた良寛さんの心が、21世紀の今も求められているのではないでしょうか。そんな良寛さんの心を、残された詩歌からあなたも学んでみませんか。
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 このブログは、公開している私のホームページ(メニュー冒頭の「私のホームページ」)を補完する目的で立ち上げました。しかし、それには拘らずデジカメ写真や旅行記なども手がけたいと思っております。
 取り敢えずは今までのホームページをご覧いただければ有難いと思っております。
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