2006年05月24日

長岡と栃尾の史跡・伝承を訪ねて

 5月21日(日)、快晴の天気の下、新潟良寛研究会の春季研修旅行「貞心尼ゆかりの長岡と栃尾の史跡・伝承を訪ねて」が行われた。遠く埼玉県から参加された高橋さんを含めて24名の参加で行われました。車は定刻より10分早く7時50分、新潟市東堀のNEXT21前を出発した。今回の研修は名解説の星野さんが都合で欠席されたため、私の作った栞だけが頼りの心もとない研修でしたが、長岡では地元の前田さん、栃尾では母方の祖先が栃堀にいらっしゃる志賀さんなどからの協力を得て、有意義な研修をすることができました。厚くお礼申上げます。閻魔堂の歌碑
 車は新潟から高速道路に乗り、途中、栄PAで休憩、見附中之島ICで下りて、貞心尼が30歳から44歳までの14年間を過ごしたという福島の「閻魔堂」に着いたのが8時55分、閻魔堂内や昭和32年に建立された「朝げたく」の歌碑、閻魔堂前の参道に建てられた『はちすの露』からの3基の歌碑、貞心尼が住んでいた頃の閻魔堂の位置などを研修して、良寛歌碑が建つ西楽寺へ向かう。
西楽寺本堂


 西楽寺では住職・春日氏のお話を聞き、歌碑の遺墨「やまたづの」を拝見させていただく。同寺の立派な庭園も拝見させていただいた。

河井継之助の生家跡
長岡駅の良寛像
 西楽寺からは長岡旧市内に入り幕末を駆け抜けた河井継之助(つぎのすけ)の生家跡、長岡駅の良寛像を見学、貞心尼の生家跡、上州屋跡は碑も標識も何も残っていないので、その場所を確認して、昼食処・青木楼で昼食をいただく。青木楼は創業百年の老舗だとか。
信濃川堤防の貞心尼歌碑

 午後は蔵王の信濃川堤防上に建てられた貞心尼の歌碑「夕されば」を見学。貞心尼はこの信濃川を渡し舟で与板に渡り、塩之入峠を越えて和島の良寛さまのもとへ通ったといわれている。
秋葉神社 13時少し前、上杉謙信が青年期を過ごしたという栃尾へ向かう。栃尾には良寛さまの生家・橘屋と親戚関係にあり、良寛さまも時々訪れたという富川家があった。しかし今はそのこん跡を残すものは何もなく、車窓から確認して秋葉公園へ向かう。秋葉公園には謙信廟、謙信公銅像をはじめ、謙信が創建したという常安寺、その常安寺の守護神として遷宮したと伝える秋葉神社など史跡が多い。また秋葉神社は石川雲蝶の彫刻で有名である。
貴渡神社 14時、車は栃堀の貴渡(たかのり)神社へ向かう。この神社も雲蝶の彫刻で有名な神社である。ここの彫刻は、養蚕の一連の仕事から繭煮、機織りまでの様子をケヤキの一枚板4面を使って彫り上げたもので、一般に見られる寺社仏閣の彫り物とは趣を異にしている珍しいものである。しかし、神社の周りは金網で覆われており、はっきり見ることは出来なかった。
静御前の墓
 ここからは最後の研修地・義経伝説で有名な静御前の墓に向かう。
 ここでは、ちょうど栃尾教育委員会の職員の方が、ボランティアで墓周りの草取りをしておられたので、ガイドをお願いして、詳しくお話を伺うことができた。
 これで今回の研修の行程は終わり、「とちお道の駅」でお土産を買い求め、長岡駅経由、見附中之島ICから高速に乗り、新潟NEXT21前帰着は17時30分でした。今回の研修は好天に恵まれ、ボランティアガイドもお願いすることができ、実り多い研修旅行でした。

posted by 牡丹 at 10:09| 新潟 ????| Comment(0) | TrackBack(1) | 良寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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