塔頭(たっちゅう)=禅宗で大寺の高僧が死んだ後、その弟子が師徳を慕って
塔のほとりに構えた房舎。(広辞苑より)
芬陀院(雪舟寺)の山門 →
芬陀院は後醍醐天皇の元享年間(1321〜1322)に関白・一条内経が創立、定山祖禅和尚(東福寺開山聖一国師の法弟)が開山した寺で、爾来今日に至るまで一条家の菩提所になっているという。堂宇は元禄、宝暦年間に焼失したが、宝暦の火災後、桃園天皇の皇后・恭礼門院の御所の一棟を移築し、明治32年、更に改築されたのが現在の建物であるという。現在の唐門は恭礼門院御所からの移築であるという。ここの庭には寛正、応仁(1460〜1468)の頃、雪舟が作庭したと伝えられる「鶴亀の庭」があることから、別名「雪舟寺」とも呼ばれる。← 雪舟作庭の「鶴亀の庭」
雪舟が備中国から来てこの寺に起居していた頃、時の関白・一条兼良の好みで作庭したという。しかし、元禄と宝暦の火災や長期間の放置で荒廃していたが、昭和12年、32年の修復で現在の庭になったという。雪舟作庭としては近畿地方唯一の庭という。
↑ 東庭と茶室・図南亭 ↑ 図南亭から東庭の眺め
江戸時代の関白・一条昭良(1605年−1672年)は茶道を愛好し「茶関白一条恵観」と呼ばれ、東福寺参詣の際には芬陀院の茶室・図南亭で茶を楽しんだという。図南亭も宝暦5年の火災で焼失したが、昭和45年の恵観公三百年忌を期に復元され、恵観堂と称することになったという。また西側に公が愛好した曲玉の手洗鉢と屑屋形灯籠が残されているという。
芬陀院を拝観後、次の目的地、圓光寺へ向かう。


はじめまして!
京都ファンのhayateと申します。ボクもこの場所に訪れて、とても素敵な時間を過ごしました。そのときの写真をもとに、イラストを描きましたので、トラックバックさせていただきました。図南亭の障子から眺める庭は格別ですね。
またお邪魔させていただきます。