2005年10月14日

滋賀・京都の紅葉と芭蕉史蹟F 芬陀院(雪舟寺)12月1日

 六波羅門を出て日下門まで戻り、左折すると中門の手前左側に東福寺の塔頭の一つ、芬陀院(ふんだいん)がある。
  塔頭(たっちゅう)=禅宗で大寺の高僧が死んだ後、その弟子が師徳を慕って
          塔のほとりに構えた房舎。(広辞苑より)

芬陀院・山門
芬陀院(雪舟寺)の山門 →
 芬陀院は後醍醐天皇の元享年間(1321〜1322)に関白・一条内経が創立、定山祖禅和尚(東福寺開山聖一国師の法弟)が開山した寺で、爾来今日に至るまで一条家の菩提所になっているという。堂宇は元禄、宝暦年間に焼失したが、宝暦の火災後、桃園天皇の皇后・恭礼門院の御所の一棟を移築し、明治32年、更に改築されたのが現在の建物であるという。現在の唐門は恭礼門院御所からの移築であるという。ここの庭には寛正、応仁(1460〜1468)の頃、雪舟が作庭したと伝えられる「鶴亀の庭」があることから、別名「雪舟寺」とも呼ばれる。
鶴亀の庭
← 雪舟作庭の「鶴亀の庭」
 雪舟が備中国から来てこの寺に起居していた頃、時の関白・一条兼良の好みで作庭したという。しかし、元禄と宝暦の火災や長期間の放置で荒廃していたが、昭和12年、32年の修復で現在の庭になったという。雪舟作庭としては近畿地方唯一の庭という。


東庭と茶室・図南亭 図南亭からの眺め
     ↑ 東庭と茶室・図南亭         ↑ 図南亭から東庭の眺め
 江戸時代の関白・一条昭良(1605年−1672年)は茶道を愛好し「茶関白一条恵観」と呼ばれ、東福寺参詣の際には芬陀院の茶室・図南亭で茶を楽しんだという。図南亭も宝暦5年の火災で焼失したが、昭和45年の恵観公三百年忌を期に復元され、恵観堂と称することになったという。また西側に公が愛好した曲玉の手洗鉢と屑屋形灯籠が残されているという。

芬陀院を拝観後、次の目的地、圓光寺へ向かう。


posted by 牡丹 at 12:00| 新潟 | Comment(2) | TrackBack(1) | 旅と写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
牡丹様

はじめまして!

京都ファンのhayateと申します。ボクもこの場所に訪れて、とても素敵な時間を過ごしました。そのときの写真をもとに、イラストを描きましたので、トラックバックさせていただきました。図南亭の障子から眺める庭は格別ですね。

またお邪魔させていただきます。

Posted by hayate at 2005年10月14日 22:14
アクセスしていただき、TrackBack、Commentありがとうございます。京都はほんとにいいですね。私も源光院へ行きたかったのですが、昨年は工事中で入れませんでした。光悦寺まで行って引き返さざるをえませんでした。次の機会には是非拝観したいと思っています。10/15、16と会津、米沢、小国へ、良寛さまと上杉藩の史蹟を訪ねる旅をしていました。これから旅行記を書きはじめますので、しばらく京都紀行は中断させていただきます。これからも宜しくお願いします。
Posted by at 2005年10月17日 08:51
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雪舟寺(恵観堂の丸窓)
Excerpt: 突然ですが、数日更新できないので、大量アップします。 雪舟寺のこの丸窓からの庭、最高でした。スケッチはできないので、デジカメで撮影してあとで描きました。源光院もそうですが、丸窓ってのは平和な感じ...
Weblog: 京都へのラブレター~京都ファンが憧れを語ります~
Tracked: 2005-10-14 17:03