2006年12月16日

皆さま よいお年をお迎えください

 平成18年も残り僅かになりました。昨日の新潟良寛研究会の例会で今年の行事はほとんどおわりました。月日の経つのは早いもので、定年を迎えてからもう12年も過ぎました。小学校を入学した子供さんが高校を卒業すれまでの年数と同じです。あと何年この世に居られるか分かりませんが、良寛さまを勉強しながら、明るく楽しく過ごしたいものです。
出雲崎町・赤坂山公園の良寛歌碑拓本 ところで良寛ニュースにも載っていますが、12月1日に新潟良寛研究会恒例の忘年会がありました。今年は専任講師の井上先生をはじめ、全国良寛会の長谷川会長も参加され、総勢40名にもならんとする大忘年会でした。
 目玉は毎年恒例の良寛関連品の抽選会です。いつも籤運の悪い私がどうしたことか、3番籤を引いてしまいました。1番を当てた人から順番に好きな品物を戴くという方式です。3番目の私は出雲崎町の赤坂山公園の良寛歌碑の拓本を戴きました。新潟良寛研究会の会員の方の力作です。
  形見とて 何残すらむ 春は花
    夏ほととぎす 秋はもみぢ葉
             沙門良寛書
(写真をクリックすると拡大します)
 宴はたけなわになり、あちこちで話の輪ができ、良寛談義に花を咲かせているようでした。
来る平成19年が明るく平和な年になりますよう祈っています。
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2006年06月27日

我が家の菩提樹

 今年も新発田・五十公野の浄念寺に良寛茶会が開かれました。毎年、良寛さまお手植えの菩提樹の花が咲く頃に開催されているもので、今年は3回目にあたります。
実生・3年目の菩提樹 平成13年と14年、浄念寺の菩提樹の種を採取して、その子を育ててみようと、希望者に種が配られました。私もそれをいただき、植えてみましたが平成13年は失敗、14年も植えましたが、翌春は発芽しませんでした。他の殆どの方も失敗されたようです。
 平成15年の秋の研修旅行で小島谷の住雲園で実生のモミジを採取して、昨年菩提樹の種を植えた鉢にそのまま植えておきました。ところが、平成16年の春、植えていたモミジぼ間から菩提樹らしい芽が出てきたではありませんか。20粒位植えた中の1本です。嬉しくなって大事に育てました。
 念のためにと、今年の茶会で浄念寺さんを訪れた際、我が家の菩提樹らしい株の葉と、良寛さまお手植えの菩提樹の葉を比べて見ましたが、間違いないようです
 去年は僅か20センチにも満たなかった樹高も、今は55センチ位になりました。早く花が咲いてくれて、その清々しい香りをかぎたいと思うこの頃です。
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2006年05月24日

長岡と栃尾の史跡・伝承を訪ねて

 5月21日(日)、快晴の天気の下、新潟良寛研究会の春季研修旅行「貞心尼ゆかりの長岡と栃尾の史跡・伝承を訪ねて」が行われた。遠く埼玉県から参加された高橋さんを含めて24名の参加で行われました。車は定刻より10分早く7時50分、新潟市東堀のNEXT21前を出発した。今回の研修は名解説の星野さんが都合で欠席されたため、私の作った栞だけが頼りの心もとない研修でしたが、長岡では地元の前田さん、栃尾では母方の祖先が栃堀にいらっしゃる志賀さんなどからの協力を得て、有意義な研修をすることができました。厚くお礼申上げます。閻魔堂の歌碑
 車は新潟から高速道路に乗り、途中、栄PAで休憩、見附中之島ICで下りて、貞心尼が30歳から44歳までの14年間を過ごしたという福島の「閻魔堂」に着いたのが8時55分、閻魔堂内や昭和32年に建立された「朝げたく」の歌碑、閻魔堂前の参道に建てられた『はちすの露』からの3基の歌碑、貞心尼が住んでいた頃の閻魔堂の位置などを研修して、良寛歌碑が建つ西楽寺へ向かう。
西楽寺本堂


 西楽寺では住職・春日氏のお話を聞き、歌碑の遺墨「やまたづの」を拝見させていただく。同寺の立派な庭園も拝見させていただいた。

河井継之助の生家跡
長岡駅の良寛像
 西楽寺からは長岡旧市内に入り幕末を駆け抜けた河井継之助(つぎのすけ)の生家跡、長岡駅の良寛像を見学、貞心尼の生家跡、上州屋跡は碑も標識も何も残っていないので、その場所を確認して、昼食処・青木楼で昼食をいただく。青木楼は創業百年の老舗だとか。
信濃川堤防の貞心尼歌碑

 午後は蔵王の信濃川堤防上に建てられた貞心尼の歌碑「夕されば」を見学。貞心尼はこの信濃川を渡し舟で与板に渡り、塩之入峠を越えて和島の良寛さまのもとへ通ったといわれている。
秋葉神社 13時少し前、上杉謙信が青年期を過ごしたという栃尾へ向かう。栃尾には良寛さまの生家・橘屋と親戚関係にあり、良寛さまも時々訪れたという富川家があった。しかし今はそのこん跡を残すものは何もなく、車窓から確認して秋葉公園へ向かう。秋葉公園には謙信廟、謙信公銅像をはじめ、謙信が創建したという常安寺、その常安寺の守護神として遷宮したと伝える秋葉神社など史跡が多い。また秋葉神社は石川雲蝶の彫刻で有名である。
貴渡神社 14時、車は栃堀の貴渡(たかのり)神社へ向かう。この神社も雲蝶の彫刻で有名な神社である。ここの彫刻は、養蚕の一連の仕事から繭煮、機織りまでの様子をケヤキの一枚板4面を使って彫り上げたもので、一般に見られる寺社仏閣の彫り物とは趣を異にしている珍しいものである。しかし、神社の周りは金網で覆われており、はっきり見ることは出来なかった。
静御前の墓
 ここからは最後の研修地・義経伝説で有名な静御前の墓に向かう。
 ここでは、ちょうど栃尾教育委員会の職員の方が、ボランティアで墓周りの草取りをしておられたので、ガイドをお願いして、詳しくお話を伺うことができた。
 これで今回の研修の行程は終わり、「とちお道の駅」でお土産を買い求め、長岡駅経由、見附中之島ICから高速に乗り、新潟NEXT21前帰着は17時30分でした。今回の研修は好天に恵まれ、ボランティアガイドもお願いすることができ、実り多い研修旅行でした。
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2006年04月27日

関西、九州の旅をしてきました

 4月21日から26日まで、震災から11年、復興した神戸、別府の温泉地獄めぐり、神仏習合の国東半島めぐり、神話と伝説の国・宮崎、そして日本初の世界遺産・法隆寺、我が家の菩提寺の総本山・智積院をめぐる旅をしてきました。
そのため、ホームページ4月更新が遅れてしまいました。 明石海峡大橋(クリック)

血の池地獄(クリック)
国東塔(クリック)
鵜戸神宮(クリック)
法隆寺・金堂(クリック)
 今月の良寛研究会ニュースは5月5日、NHK教育テレビ「美の壷」で放送される良寛の書についての記事が掲載されています。(ここをクリック
 良寛詩歌講座は文化7年(1810)頃、良寛さま53歳の頃、作られたと思われる五言四句古詩「青山前與後」を取り上げました。この漢詩は表面的には簡単のようですが、内容には深い意味を持っていると言われています。語句については、漢詩における再読文字について解説しています。(ここをクリック
 良寛さまの記事は、「カチューシャの唄」や早稲田大学校歌の作詞者として名高い相馬御風さんが、中央での名声を投げうって、故郷の糸魚川へ帰って間もなく、山崎良平氏から越後の文人良寛を教えられ、その作品と人間性に興味を覚えて、研究に没頭していった様子などが書かれています。(ここをクリック
是非ご覧になって下さい。
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2006年03月23日

新潟良寛研究会の講座が新聞報道

 新潟良寛研究会の3月例会の模様が3月21日「新潟日報」紙朝刊の新潟地区版に掲載されました。10年前から続けられていた谷川敏朗先生の『良寛の詩歌百選』講座の最終回です。

  (↓クリックすると拡大します) 新潟日報朝刊


 最終回の講座に相応しく良寛さまの長歌「この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明け放れなば おみな来て ばりを洗はむ こいまろび 明かしかねけり 長きこの夜を」という病中の苦しみ、不眠の苦しみ、長い夜のやるせなさを歌った長歌である。この歌は良寛さまが示寂される20日余り前の12月15日に弟の由之さんが良寛さんに歌を贈っている。その歌は「君が爲 春日まつとて 折つめて 手たゆき迄に 成にけるはや」というものである。良寛さまの病気が治られるように指を折り、お祈りをして来年の春を待つという歌である。この歌に対する返歌が「この夜らの」の長歌であろうと谷川先生はおっしゃておられました。しかし、この歌は由之さんのもとへは届けられずに良寛さまは息を引き取られたのである。
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2006年03月19日

谷川先生の「良寛の詩歌百選」講座終わる

 平成8年から始まった谷川敏朗先生の「良寛の詩歌百選」の講座も10年かかって今月で終了しました。その最後の講座の取材に新潟日報社の記者とカメラマンが取材に来られました。近日中にその記事が「新潟日報」紙に掲載されますので、お見落としのないようご注意下さい。
郷本の良寛空庵跡
 ところで、今月の良寛さまの詩歌は『草堂詩集』の中の有題詩「傭作」をアップしました。この詩は良寛さまが玉島・圓通寺の修行を終えて帰郷し、寺泊・郷本の塩炊き小屋に仮住した時に読まれたものとされています。
(ここをクリック)



 良寛さまの帰郷時期については多くの説がありますが、これまで寛政8年説が有力でした。しかし、昨年『良寛』誌48号に元新潟大学教授・冨澤信明先生が 寛政4年3月説を発表されて話題になりました。
 このように良寛さまの足跡をきちんと記録したものはほとんど残っていません。良寛さまのことが書かれている古い文献にはどんなものがあるか。それを谷川敏朗先生が丹念に調査され、明治時代以前の良寛さまについての記録が『轉萬理』56号に発表されています。今月はその記事もアップしました。どうぞご覧になって下さい。(ここをクリック)
 なお、来月以降の詩歌講座のページは、まだ掲載されていない詩歌が約10篇残っていますので、引き続き「詩歌百選」の解説を続けます。

 また、全国各地の良寛会から情報を頂いて、それを一元的に見られる場にしたいと思って、各地「良寛会だより」のブログを試験的に発信しました。全国の良寛会の方々をはじめ、一般の皆様からも情報を頂ければ、楽しい有意義なブログになると思います。どうぞご協力をお願いします。
「良寛会だより」のアドレスは http://ryoukankai.seesaa.net/ です。

 与板町の良寛の里活性化研究会が「良寛の里」と題して出雲崎、与板、和島、寺泊、分水の案内、良寛さまの紹介、史跡・観光の紹介、グルメやショップ案内、行事イベント紹介等、幅広く良寛さまの顕彰活動をしておられます。
アドレスは http://ryoukan.net/ です。
一度ご覧になって下さい。
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2006年02月12日

良寛・貞心尼法要

 良寛さまは、旧暦の天保2年(1831)1月6日、74歳で亡くなられました。新暦に直すと2月10日前後になり、今年は175回忌にあたります。
また貞心尼さんは良寛さま示寂から41年後、新暦の明治5年(1872)2月11日に75歳で亡くなられました。今年は134回忌になります。
 それで新潟良寛会が主催されて、毎年2月11日に新潟市西堀通りの瑞光寺で「良寛・貞心尼法要」が行われています。
良寛・貞心尼法要 今年は冷たい雨が降る中、全国良寛会会長・長谷川義明さんをはじめ大勢の良寛・貞心尼ファンの方々が参集されました。「般若心経」などを参加者全員で読経した後、ご住職の法話があり、その後は会場を2階に移し、長岡大学心理学研究室・定方昭夫先生の講演と交流会がありました。

← クリックすると拡大します

 また新潟良寛研究会は、今年も毎月第3金曜日午後6時15分から、新潟市中央公民館(旧礎小学校跡地に新設)で良寛さまの詩歌の勉強会を開催しています。どなたでも気軽に参加できます。講師は良寛研究で高名な谷川敏朗先生です。会費は半年で4千円です。あなたも良寛さまの詩歌からその心を勉強してみませんか。
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2006年01月29日

飛んでいるカワセミの写真です

 昨年末、12月22日の新潟市を中心とした大停電に続く豪雪もようやく落ち着きを取り戻し、今日1月29日の新潟市は青空が一面に広がる好天になりました。気温も漸く平年並みになり、雪もすっかり融けてしまいました。このまま春になってもらいたいのですが、そうもいかないようです。
 ところで私達、新潟良寛研究会の会長・村尾さんから寒中見舞状をいただきました。そこにはご自分が撮影された「カワセミ」の写真が載っていました。素晴らしい写真ですので、皆様から見ていただきたくて、ご了解を得てブログに載せました。村尾さんは、毎年カワセミの写真を撮っておられます。今年の写真は、カワセミが飛んでいる珍しい写真です。
kawasemi 撮影地は新潟市(元中蒲原郡亀田町)の北山池です。北山池は信越線亀田駅の東南東約1.5キロの北山池公園(広さ3.6 ha)にあります。この池はヘラ鮒釣りの名所でもあり、また春には珍しい緑色の花を咲かせる桜「御衣黄(ギョイコウ)」が3本あるとか。私は行ったことがありませんので、そのうちに訪ねたいと思っています。
クリックすると拡大します

 「カワセミ」は和名で洋名は「Common Kingfisher」、写真のカワゼミは下嘴がオレンジ色をしているのでメスです。(オスは黒色)
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2006年01月21日

ホームページを更新しました

今年の冬は異常気象で、寒い日が続いています。今朝の新潟市は晴れ上がり、寒い朝でした。 市内の雪は殆どなくなり、日影の道路と屋根に残すのみとなりました。反対に今日の太平洋側は雪が降っているとか。大降りにならないことを祈っています。
 ところで、今年初めてのホームページの更新を済ませました。いつものニュース(ここをクリック)のほか、詩歌講座は良寛さまの弟・由之さんから「なめし皮」を戴いたお礼に書かれた長歌と反歌です。昔は「なめし皮」を持っていると幸せをもたらす。という言伝えがあるそうです。2人の兄弟愛がよく著された歌だとおもいます。(ここをクリック) 良寛さまに関する記事では、良寛さまが韓津(現在の姫路市福泊)で読んだ和歌があります。何という神社で詠まれたのか、小島正芳先生の現地検証のレポートです。
 最新の『良寛』誌48号で冨澤先生の論文によれば、良寛さまは寛政3年(1791)8月18日に修行の地・圓通寺を去った。19日には赤穂で「山おろしよ」の歌を詠み(小島先生は「赤穂」ではなく「英賀保(あがほ)」ではないかという。詳細はここをクリック)、翌20日には韓津に泊り「思ひきや」の歌を遺していると書いておられます。
 韓津についての実地調査の記事は(ここをクリック)
 今月の更新内容は以上の通りです。是非ご一読下さい。
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2006年01月02日

今年も宜しくお願いします

明けましておめでとうございます

 皆様、よいお正月をお迎えでしょうか。新潟市は荒れることもなく好天の静かな元日でした。県内の山間地は昨年来の大雪で雪掘りに大変なようです。新潟市は昨日は好天、今日は雨で雪はほとんどなくなりました。
1/2新潟市
 自宅窓から(1月2日朝)

 今年はどんな年になるのでしょうか。新聞報道によれば、これからも社会保障は切り下げられ、大増税が予定されています。それに引きかえ、銀行や大企業はバブル期を上回る空前の増益を計上したとか報道されています。サラリーマンや年金生活者の暮らしは益々苦しくなるばかりです。そして貧富の格差が更に拡大し、小泉さんの好きなアメリカ型社会に向かっていくようです。
 政治の方向を、何とか庶民の方に向けることが出来ないものでしょうか。社会的弱者に思いやりのある日本にしたいものと思っています。
 今年も、良寛さまの心「慈愛と寛容、自由と平等」を勉強し、発信しようと思っています。
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2005年12月17日

今年もご来訪ありがとうございました

 2005年も残り僅かになりました。今年も私のホームページをご覧いただき有難うございました。
12月17日朝の新潟市
 気象庁の長期予報では今冬は暖冬と発表されていましたが、それとは反対にこの12月の大雪、十日町市では降雪が2メートルを越えたとか。上越、中越地方は近年にない大雪だそうです。中越地震の復旧がこれでまた遅れるようです。本当にお気の毒に思います。今夜からまたマイナス42度以下の寒気団が押し寄せるとか。無事通過して貰いたいものです。
 ↑ 今朝(12月17日)の新潟市
それに比べ、私の住む新潟市は、最高の降雪でも9センチ、今朝はそれも殆ど融けて、屋根に雪が残る程度になりました。何だか申し訳ないような気持になります。

 ところで、12月のホームページを更新しました。

 今月の谷川先生の詩歌講座は、弟・由之さんから良寛さまの好物であるザクロを贈ってもらったお礼の手紙の解説です。
 文政9年10月1日、69歳の時に良寛さまは国上の乙子神社草庵から、和島村の木村家へ住居を移しました。由之さんはそれを知らずにザクロをもって国上を訪ねます。しかし、良寛さまは転居した後だったので、由之さんは隣家にザクロと手紙を託しました。それが良寛さまの手元に届いたのは12月に入ってからでした。良寛さまは由之さんに和歌だけの手紙を送ります。12月6日のことでした。今月はその遺墨の解説を取り上げました。
   (詳細はここをクリック)
 機関紙『轉萬理』の良寛さまに関する記事は、平成元年3月号から、小島正芳先生の「あかほの天神の森」を掲載しました。良寛さまはここを訪れて歌を詠んでいます。「あかほ」と言えば忠臣蔵で有名な「赤穂」を思い浮かべますが、良寛さまがおとずれた「あかほ」は同じ播州でも姫路のすぐ西の英賀保(あがほ)のことです。今月は小島先生がそこを実地検証された記事です。
   (詳細はここをクリック)

 是非ご覧になって下さい

皆様よいお年をお迎え下さい。

少しでも心豊かな年になりますように
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2005年11月19日

11月のホームページ更新しました

 めっきり寒くなり、あちこちから初雪の便りが聞かれます。新潟では風邪が流行っているようです。昨日の例会は風邪により欠席された方が多かったようです。年末に向かって多忙な季節、お互いに自愛して今年の冬を乗り切りましょう。
11月のホームページを更新しました。

 アップしたページは
  @ 良寛会ニュース
    良寛帰郷「寛政4年3月」説が報道されたこと他。
  A 詩歌講座は「久方の 月の光が清ければ ……」
    貞心尼の仏道の悩みについて良寛さまが贈った書簡から。
  B 良寛関係記事
    良寛さまが訪れたという須磨寺、綱敷天神について。

以上のページをアップしました。ご覧になっていただければ幸いです。
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2005年11月17日

甲田ひろみ「薬草染 手織り作品展」開催中

 新潟良寛研究会にはいろいろな特技をお持ちの方が加入しておられます。そんな中のお一人、甲田ひろみさんの「薬草染 手織り作品展」が新潟大和で開かれています。
クリックで拡大
 甲田さんは、草木染をなさっていたのですが、1988年に富山の廣貫堂から薬草の提供を受け、その染色の素晴らしさの虜になり、以後薬草染手織を続けられているそうです。
 甲田さんのメッセージには「薬草染は染の原点と言われております。真白な糸に自然から戴く温もりと優しさの色彩を糸に託して、現代感覚で日々創作しております。そして作品は作り人と大勢の方々との出逢いと、心と心を結んでくれております。」と書いておられます。

 以下、素人写真ですので残念ながら薬草染の軟らかな温かみのある色合いは出せませんでした。一度会場に足を運んでみては如何でしょうか。
koudaten2.jpgkoudaten3.jpg

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koudaten6.jpgkoudaten7.jpg

 11月16(水)〜22日(火)まで、10時〜19時まで新潟大和6階アートサロンで開催されています。(最終日は16時迄)
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2005年10月24日

「つれづれに」のホームページ更新

 「つれづれに」のホームページ更新しました。
内容は、10/15,16日に行われた新潟良寛研究会の研修旅行記です。研修地は福島県西会津町の松尾神社に遺る良寛筆の神号「松尾大明神」の扁額、会津柳津町の福満虚空蔵尊・圓蔵寺に良寛さまが旅して詠んだ五言三十句の長詩と良寛像、上杉景勝と共に越後人が大勢移住したという米沢の上杉藩遺蹟、良寛さまが名君・上杉鷹山に会うために越後米沢街道を行脚した時詠んだ漢詩「米沢道中」「宿玉川宿」の現地研修です。
写真もサムネールを使って沢山入れてありますので是非ご覧下さい。
ホームページのアドレスは
  http://www.geocities.jp/my_ryoukan/aizu/aizu-top_nisiaizy.html
です。
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2005年09月29日

良寛生誕の地・出雲崎で全国良寛会総会

 平成17年度全国良寛会出雲崎総会は、北は北海道から南は九州まで全国から6百余名の参加を得て、9月24日新潟県出雲崎町町民体育館で盛大に行われました。
このページは出雲崎大会の記録ですが、出雲崎の紹介を兼ねて制作しました。そのため祝辞や挨拶は勝手ながら「出雲崎と良寛さま」のお話を中心に編集させてもらいました。お許しいただきたいと思います。
出雲崎総会会場

 総会は出雲崎良寛景慕会幹事・佐藤亨氏の総合司会のもとで定刻13時に開始されました。先ず物故会員(倉内勇吉・元分水町良寛会会長、中野孝次・顧問、西野武朗・静岡県良寛会会長ほか)に対する黙祷が行われました。

佐藤新次郎・出雲崎良寛景慕会会長
 次いで開会挨拶には地元出雲崎良寛景慕会会長・佐藤新次郎氏が立たれました。佐藤氏は良寛さまが生まれた出雲崎には沢山の史跡がありますので、良寛さまを偲び、また学びその中から見習っていただきたい。そしてこの度の総会が皆様の協力で順調に進められることをお願いする旨のご挨拶をいただきました。

全国良寛会会長・斎藤信夫 そして斎藤信夫全国良寛会会長の挨拶がありました。斎藤会長は今回で会長職を降りられ、名誉会長に就任されることになっている。会長は初代・近藤敬四郎会長、小島寅雄前会長時代は副会長などの職につかれ、そして会長職を3期勤められた、その感懐や大会開催に当たっての出雲崎町長はじめ役場の皆様、そしてこの会の成功のために奮闘された地元出雲崎良寛景慕会の皆様に御礼を述べられました。そして新会長になられる予定の長谷川義明氏と今日の講演の講師・梅原猛氏を紹介をされました。そして最後に在職中の皆様からのご支援に感謝の言葉を述べられました。

小林則幸・出雲崎町町長 来賓祝辞は小林則幸・出雲崎町町長からいただきました。
 全国津々浦々から良寛さまを敬慕してお集まりの皆様、このように盛会に開催されることを御慶び申上げますと同時に、大勢の出雲崎町民からご参加を頂いたことに感謝とご歓迎を申上げます。
 出雲崎は青い海、緑の山に恵まれながら、歴史文化伝統を育みながら、思いやりのある街づくりを目指して、町民一丸となって心掛けているところであります。しかし時の流れは非常に厳しく、数々の試練に直面しています。しかし出雲崎町は困難に打ち勝って、ひたすら前進しようと思っているところであります。
 良寛さまは「災難がある時節には災難に逢うがよく候」といわれているように、昨年は集中豪雨に続く地震と、出雲崎町も大変な被害がありました。全国の皆様からのご支援のお蔭でどうやら復興の目途が見えて参りました。皆様方に心から御礼申上げたいと思います。
 出雲崎町と分水町、与板町が合併して「良寛町」とする町村合併の計画は8分通り進んだのですが、後退せざるを得ない結果となりました。これは誠に残念なことであります。
 これからの出雲崎は、良寛さん、芭蕉さん、あるいは天領、石油発祥の地など数々の大きな文化遺産がありますので、これらに光を当てて、困難に耐えながら前進したいと思っています。
 また良寛さまの言葉に「これはこれ、災難をのがるる妙法にて候」とも云っておられます。私はこの言葉を受け止めながら、新しい前進を図って行く所存であります。
 物質文明が頂点を極めた感のあるこの頃、私達は人間として何か足らないものがあると感じているところであります。かつてあの厳しい時代、家族愛、兄弟愛、人間愛、向こう三軒両隣、この素晴らしさが今忘れ去られてしまっているように思います。あの厳しい修行に耐えながら、限りない自愛・愛情を下さった良寛さん、詩歌、書道を極めた良寛さん、今こそ私達は良寛さまの生き様を学ぶ時だと思っています。今日ここにご参会の皆さんには、これからの時代を育てる今良寛としての期待がかかっていると思うのです。その意味でも良寛会活動はは発展的に進めなければならないと思っております。
 承りますと良寛会のために大変なご努力をなさった斎藤会長さんが今期限りで勇退され、長谷川さんが新会長に就任されるそうですが、斎藤会長には有難うございましたと心から御礼申上げ、新しい会長のもとに全国良寛会の益々の弥栄をお願いするところであります。
 これからも数々の催しがありますが、この機会に存分に出雲崎を楽しんでいただきたいと思います。お互いに健康に留意されて益々のご活躍ご発展を祈念してお祝いの詞とさせていただきます。今日は大変おめでとうございました。

祝電の披露では、県議会開催中のため出席できなかった泉田新潟県知事と近藤元彦衆議院議員の祝電が披露されました。
加藤僖一・全国良寛会副会長
 総会議事は、加藤僖一・全国良寛会副会長の議長のもとで進められました。
 加藤議長の挨拶では、今年の総会は文字通り良寛生誕の地で開催することが出来て、大変嬉しく思っております。500名を超える大勢の会員の皆様からご参集いただいてこのように盛会に催すことが出来るのを皆さんと共に喜びたいと思います。また出雲崎良寛景慕会佐藤新次郎会長をはじめとする実行委員会の皆さんが非常に献身的に準備運営に当たれれ、また小林則幸町長さんのお計らいによって町当局から多額な財政的な援助も戴いて運営されております。高い所から失礼ですが心から御礼申上げます。
 という報告があり、業務報告及び年次計画、決算及び予算案、役員人事、次年度大会開催地の審議採決が行われ、いずれも原案通り採択されました。

 なお、次年度総会は6月10日(土)、11日(日)、弥彦村良寛会の主管で弥彦文化会館で開催されます。

長谷川義明・新全国良寛会会長長谷川義明新会長挨拶
 先程、斎藤前会長さんからご懇篤な紹介をいただきまして恐縮しております。今日お集まりの皆さんは各地で良寛の顕彰にご活躍いただいております。各界で、地域で皆様がそれぞれの立派に活動を継続されておりますように、全国良寛会としましてもこういった輪を是非広めて行きたいと思っています。
 全国良寛会といたしましても各地域の良寛会と協調を図って進めていきたいと思っています。また私は良寛さんを勉強すればするほど大変奥が深い方だ思います。良寛さんを知ることにより、心が穏やかになり安らぎを覚える、良寛さまはそういう幸せをいただける方だと思います。良寛を学ぶという幸せ、こういった人の輪をこれからももっともっと広めていきたいものだと思っています。
 全国良寛会の方々、各地域で良寛の顕彰の活動をされている方の共闘で、良寛の遺徳を顕彰していくという活動の輪をもっともっと広げていきたいと思っています。
 全国良寛会の会員の皆様方の今後一層のご指導とご鞭撻をいただきながら努力して参りたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。

 続いて、次期総会開催地の弥彦良寛会会長・梨本哲雄氏の挨拶がありました。
来年度全国良寛会総会は弥彦で開催することに決定しました。日程は平成18年6月10日土曜日、総合文化会館で開催します。翌日の日曜日は弥彦村の史跡めぐりをすることになりました。良寛さまの歌に「世の中を 何にたとへん 伊夜日子(いやひこ)に たゆたふ雲の 風のまにまに」という歌があります。良寛さまはこよなく弥彦を愛され、弥彦山を中心とした弥彦の自然が皆様方のお越しをお待ち申上げております。弥彦良寛会の会員85名は一丸となって、ご参加下さる皆様方にご満足頂ける様に企画、準備を進めさせていただきます。何卒1人でも多くの方のご参加を重ねてお願い申上げて開催地の代表挨拶とさせていただきます。

 これで総会議事は終了し、閉会挨拶は全国良寛会副会長・柳本雄司氏です。
本日は年1回の良寛会総会に多数ご出席いただき、また熱心に議事をご審議いただきまして大変有難うございました。新しい役員人事案が皆様の協力で承認されましたが、新しい会長のもとに一致団結して良寛会の発展のために尽していきたいと思いますので、更なるご支援を宜しくお願いいたします。
 良寛さまにつながるご縁をもってここに全国津々浦々から多数の皆様からお集まりいただいた訳であります。この一期一会の親交を大切にして、明日、明後日と皆様方は故郷へ帰られますが、また良寛さまの心を広めるようにご尽力頂くことをお願いいたします。また今程は来年の弥彦総会が議決されましたが、今日お出での皆様お一人も欠けることなく、来年6月10日に弥彦に再会することを皆様方とお誓いいたしまして閉会の言葉とさせていただきます。大変ありがとうございました。
---------------《休憩》---------------

休憩の後、全国良寛会出雲崎総会の記念講演がありました。

記念講演
  講師は梅原猛先生で、演題は「良寛の芸術と仏教」です。
講師略歴:宮城県仙台市出身。京都大学哲学科卒業。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター初代所長を経て、現在、同センター顧問。仏教伝道文化賞、NHK放送文化賞、文化勲章などを受賞。また近年、歌舞伎作家、狂言作家としてもご活躍しておられます。

最初に加藤僖一・新潟大学名誉教授、全国良寛会副会長から講師の紹介がありました。  
 梅原先生のご紹介は先日の新潟日報に載せてありますので、ここでは省略させていただきますが、梅原猛先生というだけで、日本では知らない人がいない位有名な先生でいらっしゃいます。先生のご業績やご著書は数え切れないくらいでございますが、あえてただ一冊本をご紹介させていただくとしますと、ここに持ってまいりました『日本の霊性―越後・佐渡を歩く』という本です。
 昨年3月、梅原先生は8日間をかけて新潟県内を取材されまして、9月にこの本を出版されています。日本の霊性のルーツが以外にも新潟県にあるという驚くべき内容の本でございます。その時梅原先生は3月17日、この出雲崎にお出でになりまして良寛堂の横から日本海を眺めまして「ああ出雲崎はええなあ。ここが一番ええなあ」とおっしゃいました。その言葉を聞いた瞬間、「あっ来年の出雲崎総会の講演は大丈夫だな」と思いました。
 梅原先生の講演の中でも良寛さんに限ったお話は今日が初めてではないかと思います。
そして今日の講演はNSTテレビで10月2日(日)、10月9日(日)の2回に分けて、朝5時半から6時まで、合計1時間の番組として放送されます。今日のご講演をお聞きになってさらにテレビで深めていただきたいと思います。それでは梅原先生どうぞ宜しくお願いします。

管理者からのお詫び
 私の聞き違いから、最初「NSTテレビ」を「NHKテレビ」と誤って書いてしまいました。NSTテレビはローカルテレビ局ですので新潟県域しか放送されません。皆様にご迷惑をかけた事を深くお詫びして訂正させていただきます。(管理者・梅津)

良寛の芸術と仏教   梅原 猛 先生

(ここではご講演の内、序論の部分の要旨のみ紹介させていただきます。)


ご講演中の梅原猛先生 いまご紹介がありましたように私は去年の3月、良寛さまのことで新潟県内を回りまして、『日本の霊性』という本を書かせて頂きました。「霊性」という言葉は皆様あまり聞きなれない言葉と思いますが、これは石川県・越の国の鈴木大拙という方がこの言葉を使いました。「精神」という言葉は「日本精神」に通じ、右翼によって大変利用されたため、「霊性」という言葉を使おうと鈴木さんはおっしゃったのです。「精神」というと宗教性とあまり関係しませんが、「霊性」というとまさに宗教性と関係しています。そして近代日本人に宗教性が欠けていることへの大拙の憂いが、この言葉を選ばせたのではないでしょうか
 越後は「霊性の国である」。なぜか。
 遠く縄文時代、糸魚川から宗教に相応しいヒスイが出る。ヒスイは縄文時代、日本人にとって最も貴重なものである。そして火焔縄文土器が十日町に出る。そしてそこから日本の宗教家が二人育っている。一人は親鸞、そしてもう一人は日蓮である。この二人の思想が越後に根付いた。そういうことから越後は「霊性の国」だと思うのです。 梅原猛先生 その越後の「霊性の国」で良寛という人がいる。私は子供の時に相馬御風の『良寛さま』という本を読んだのですが、大きくなって毬ばかりついている坊さんは、ちょっとおかしくないかな、と思ってはじめ敬遠していたのですが、しかし4、5年前から事情があって良寛を読み出したら、やっぱり良寛は素晴らしいと思う。そして昨年、加藤先生のご案内で良寛の遺跡をずっと見て回ったのですが、今は良寛という人は大変な人だと思うようになりました。
 日本の仏教は法然、親鸞、道元、日蓮と、鎌倉時代にピークに達したと思っています。江戸時代というのはそんなに偉い人はいないと思っていたのですが、この頃勉強するにつれて、江戸時代の見方も変わってきました。
 江戸時代は檀家制が確立して、坊さんの生活は安定してきました。しかし新しい宗派を作ることは勿論、新しい寺も建てることさえ禁止されました。そればかりではなくて、布教するには個人で、宗門の外に出て、しかも芸術を使って仏教を広める。そういう坊さんが江戸時代に出ました。この時代、仏教に魂を吹き込んだのはそういう宗派に属さない個人でした。それが円空、白隠、良寛であります。この三人は鎌倉時代の法然、親鸞、道元、日蓮などとそんなに変わらない立派な人間であると思うようになりました。
 その中で良寛の芸術と仏教という話ですが、良寛の仏教と芸術は切り離すことが出来ない一体的なものであると思うのです。良寛の芸術そのものが仏教なのです。仏教の表現手段が良寛の芸術であると思います。
 私は良寛を研究してまだ日は浅いのですが、ほんとの良寛の深いところはまだつかめません。良寛にはまだ謎があります。しかし、今理解している限りでも、良寛は大変な人だと思うようになりました。今日は今まで理解した範囲内で、良寛のことについて語ろうと思います。

というようなお話で始まったのですが、本論の方は10月2日、9日のNSTテレビをご覧になっていただきたいと思います。

この講演でお話になった先生のご著書は
梅原猛著『日本の霊性―越後・佐渡を歩く』佼成出版社
2004年9月出版  税込価格 1,890円

---------------《休憩》---------------

休憩の後、地元の方々によるアトラクションがありました。以下はそのスナップ写真です。
(写真をクリックすると拡大します)
出雲崎保育園児の鼓笛演奏
民謡秀和会・町婦人会員の出雲崎おけさ
↑ 出雲崎保育園児の鼓笛演奏       民謡秀和会・町婦人会員「出雲崎おけさ」↑

出雲崎中学校生徒太鼓同好会の「出雲崎たる囃子」
町小中学校生徒と町コーラスサークルの「良寛さまのうた」
↑出雲崎中学校生徒太鼓同好会の       ↑町小中学校生徒と町コーラスサークルの
     「出雲崎たる囃子」            「良寛さまのうた」

賛助出演・新潟交響楽団の演奏 全員合唱・「また逢う日まで」
↑賛助出演・新潟交響楽団の演奏        ↑最後に全員で全国良寛会総会の歌
                   「また逢う日まで」(前会長・斎藤信夫作詩)合唱

---------------《休憩》---------------

休憩の後、17時から歓迎レセプションがありました。
全国良寛会交流会全国各地からお集まりの皆さんとの交流会、一年振りの再会、懐かしい顔、思いがけない方との出会い、楽しいひと時でした。
また来年の弥彦大会での再会を約してそれぞれの宿舎に向かったのでした。
出雲崎良寛景慕会の皆様、本当にご苦労さまでした。出雲崎町長はじめ役場の皆様、町民の皆様、本当にお世話になりました。有難うございました。


長文の全国良寛会出雲崎総会の報告を最後までご覧いただき有難うぼざいました。
posted by 牡丹 at 15:00| 新潟 ????| Comment(1) | TrackBack(1) | 良寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月17日

ホームページの9月更新完了

 「私のホームページ」の9月の更新は以下の通りです。
@ 「良寛ニュース」は新潟良寛研究会の秋季研修旅行の詳細が決定したこと。
A 出雲崎・良寛記念館からのお知らせ
などが載っています。詳細はここをクリック。

 「良寛詩歌講座」は文化7年11月、良寛さまの弟・由之さん49歳の時、尼瀬の京屋との争いに破れ、財産没収、出雲崎所払いの処分を受け、髪を切って流浪しましたが、後に与板町に住みました。ある日、良寛さまの夢の中にその由之さんが現れてすぐ消えました。その時に詠んだ短歌「いづくより」他2首の解説です。詳細はここをクリック。

 「良寛関係記事」は良寛さまが母乳の出ないお母さんのために集めたという文字白雪こうについて、谷川先生が書かれた記事を紹介します。詳細はここをクリック。
posted by 牡丹 at 13:13| 新潟 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 良寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月20日

8月の「私のホームページ」更新しました

 今日、「私のホームページ」を更新しました。
  出雲崎総会「良寛ニュースは、9月の全国良寛会出雲崎総会や、10月の新潟良寛研究会の秋季研修旅行の案内などを載せています。
クリックで拡大 →

 今月の「良寛詩歌の解説」は、「面影の 夢に見ゆる かとすれば さながら人の 世にこそありけれ」の解説です。
 良寛さんの三番目の弟に宥澄という人がいます。良寛さんより12歳年下で山本家の菩提寺・円明院の住職になっています。しかし31歳の若さで亡くなりました。この歌は亡くなって間もないある日、夢の中に宥澄さんが現れて、良寛さんと法門のことについて語り合いましたが、その夢から覚めた時に詠んだ歌です。

 「良寛の記事」は故・宮榮二先生の「栃尾郷」の2回目です。良寛さんと深い関わりがあった富川家の話が逸話を交えて述べられています。
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2005年08月15日

長岡の良寛遺墨展と貞心尼史跡を訪ねる(その2)

 私は昭和37年(1962)から貞心尼と同じく、14年間を長岡に過ごしましたが、「良寛遺墨展」開催を聞いて、暫くぶりに長岡を訪れてみました。私は長岡にいた頃、良寛さんの名前くらいは知っていましたが、その他のことは何も知らず、ましてや貞心尼のこととなると、恥ずかしながら名前すら知りませんでした。それでこの機会にとタクシーで貞心尼の史跡を回ってみました。
若い貞心尼托鉢像(クリックで拡大)
 長岡には貞心尼の史跡として、草庵・閻魔堂(平成7年再建)があります。貞心尼が30歳から44歳までの14年間を過ごした所です。
 そして江戸時代、信濃川の河岸・柿川の出払い付近には、渡し舟の船着場がありました。貞心尼は和島村の良寛さんのもとへ通うため、ここの船着場を利用したものと思われます。(当時、僧侶や尼僧の渡し舟の船賃は無料であったという)

クリックで拡大

信濃川堤防の貞心尼歌碑碑陰 現在の西蔵王3の北越製紙研究所前の土手の上には、その貞心尼が良寛さんのことを思い出して詠んだ歌の歌碑が建てられています。
(詳細はここをクリック)
 長岡では信濃川の堰堤の歌碑も、閻魔堂もきれいに整備されており、地元の人達の貞心尼に対する敬愛の念の大きさを実感しつつ、清々しい気持で見学することが出来ました。
(この項 おわり)

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2005年08月12日

長岡の良寛遺墨展と貞心尼史跡を訪ねる(その1)

近代美術館
 8月21日まで長岡の新潟県立美術館で「良寛遺墨展」が開かれています。暑くならない内にと7月22日に鑑賞に行ってきました。そして良寛さんと晩年に交流のあった貞心尼の史跡も見学してきました。「良寛遺墨展」は御三家といわれる解良家、阿部家、木村家に伝来する遺墨を中心にした數々の名品が出展されており、近来にないレベルの高い内容になっていると思います。
長岡良寛展 今年の春には、東京大阪で「木村家伝来良寛墨宝展」が開催されたが、会場は大勢のファンが押しかけ、ゆっくり鑑賞することが出来ませんでしたが、今回の展覧会は来場者も少なくゆっくり鑑賞することが出来て幸せでした。これだけの名品が一堂に会することは、暫らくはないだろうと思われますので、是非見られたらいかがでしょうか。特に木村家の和歌巻三巻はこれまで門外不出の作品で、春の東京・大坂展に続いての出品でした。この良寛さん最晩年の和歌巻(「いやひこの」ではじまるので通称『いやひこ和歌巻』)三巻だけでも一見の価値はあると思う。
 また、良寛さんの父・以南さんが書いた俳句「朝霧に」の書に、良寛さんが賛をした短歌・「みづぐきの」が、それとは対照的に細く小さく、今にも消え入りそうに書かれている幅が印象的でした。
 ただ、車を持たない者にとっては会場までの交通の便が悪く、タクシーの流しもなく、それらが来客の少ないひとつの原因になっているのではないかと思われます。ここだけではなく、長岡のイベント施設は、自家用車を持たない人は来なくても良いと言っているように思いました。
 それはともかく、遺墨展の鑑賞に先立って、貞心尼の史跡見学をしてきました。
(次回につづく)
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2005年08月09日

良寛さんへのお誘い

 日がな一日を「かくれんぼ」や「毬つき」などで子供達と遊ぶ良寛。一方、宗門の戒めに背き、酒をのみ煙草も吸い、僧侶でありながら経を読まず、説教もしなかった良寛。印可の偈(免許状)を受けながら、生涯、一寺の住職にもならなかった良寛。
 良寛さんは財産、名誉、権力など人間を惑わす全ての想念を取り払い、自然を愛し、草庵独居、乞食行脚の修行を厳しく実践しました。生活は貧しくとも、常に慈愛と寛容の精神を堅持していましたので、大人も子供も、農民も庄屋衆も良寛さんに対しては、疑念を持たず全幅の信頼を寄せ、安心して接していました 寺泊・照明寺密蔵院の良寛坐像(クリックで拡大)
 良寛さんは自分を全く語らず、説教もせず内に秘めた心をたくさんの詩歌や書簡に残しています。しかも残された詩歌や遺墨は、今も文学的に世界中から高く評価されています。
殺伐とした現代は、科学の進展、物質的な豊かさだけが進む一方、精神面での進歩が忘れ去られているようです。幕末に生き、権力に近寄らず、限りなく相手の立場を大事にして生きた良寛さんの心が、21世紀の今も求められているのではないでしょうか。そんな良寛さんの心を、残された詩歌からあなたも学んでみませんか。
クリックで拡大
 このブログは、公開している私のホームページ(メニュー冒頭の「私のホームページ」)を補完する目的で立ち上げました。しかし、それには拘らずデジカメ写真や旅行記なども手がけたいと思っております。
 取り敢えずは今までのホームページをご覧いただければ有難いと思っております。
posted by 牡丹 at 08:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 良寛 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする